糸島市ピアノ教室 講師紹介

幼少の頃 

ピアノを始めたのは3歳の誕生日。 

母が、「幼稚園に行くのとピアノを習うの、どちらが良い?」と尋ねたら、『ピアノ』と答えたから習わ せたのだそう。 

初めてレッスンに行った日、レッスン室に、可愛いお姉さん達が数人、ソファーで楽しそうにおしゃべり しながら待っていて、私もそこに仲間入りしたい、と思った事はよく覚えています。

楽しみにしすぎて熱を出す「ワクワク病」でレッスンに通えず、先生に出張してもらっていました。

心待ちにしていて、窓の向こうに、ハイヒールで歩いて来られる先生の姿が見えた時には、とても嬉し かったのが、初歩のピアノの記憶です。 

 

小学生 

低学年の時に過ごしたマンションで、6時から7時はピアノの時間、という暗黙のルールがあって、どの 家からもピアノの音がしていたので、なんとなく練習の習慣ができました。 

転勤族でピアノが友達でしたが、12才のお誕生日プレゼントでフルートを手にしました。

学校のクラブ 活動ではマンドリンを、課外の音楽部ではアコーディオンを、運動会のマーチングではトランペットを、 当時習っていた先生が電子ピアノ科だったことで電子オルガンを、抽選で当選したリコーダーのイベントに、と、色々な楽器に触れる機会がありました。

お隣に住んでいるお姉さんが声楽家だったので、初め てコンサートを聴きに行ったのは、ソプラノリサイタルでした。

お姉さんの黄色いドレスから赤いドレス への衣装チェンジに憧れて、ドレスを着るために、いつか私がお姉さんの歌の伴奏する!と思っていまし た。 

 

中学生・高校生 

反抗期真っ只中、中学校に馴染めず、登校拒否を繰り返す問題児でした。 

父の転勤を機に、中高一貫のミッション系女子校に通い始めてからは、一転、穏やかで楽しい中学高校生 活でした。

チャペルでパイプオルガンを聞いたり讃美歌を歌うのは大好き、だから遅刻も休みもせず学校 へ行く・・・音楽があると学校がこんなにも楽しみなのか、と、思いました。 

高校2年生になる春、またの転勤で、寄宿舎生活になりました。 

そこで、私が一生音楽に関わる事になる大きな出来事がありました。 

寄宿舎に入ってすぐ、ピアノが弾きたい、フルートが吹きたい、と泣いたのを同室の先輩に見られたこと で、先輩から「人を喜ばせる手段を持っているなら、それは大切にした方が良い」と言われ、先輩が寮母 さんに掛け合ってくれて、夜、学校で練習させてもらう、という、音楽への道が開けました。

先輩、寮母さん、寮生のみんな、音楽の先生、校長先生、宿直の用務員さん、と、たくさんの人の助けを 借りて、音楽を続けられる事になりました。感謝してもしきれません。 

練習に使って良いよ、と言われた学校のピアノが、寄贈されたスタインウェイだったため、再びピアノの 虜になりました。

身長も伸びて、オクターブも届くようになり、曲のレパートリーが増えたこと、モーツ アルトやベートーベン、ショパンやドビュッシーにまで手が届くようになったり、お小遣いで洋楽やポ ピュラーの楽譜を買えるようになったりして、音楽の楽しさが広がりました。 

 

学生 

家族が関東にいたので、武蔵野音楽大学へ進学しました。 

大学へ入って、高い志をもった同級生にたじろぐばかりでしたが、有名なドラマ「のだめカンタービレ」 に出てくる A オケメンバーになったり、在学中に師事した外国人講師の先生に留学を勧められたり、授業 でついた声楽の先生から声楽科への転向をススメられたり、と、自分の希望以上のものが押し寄せてきて、 何をしたら良いのかわからず、大学卒業後2年間、コンセルヴァトアール尚美のディプロマコースで過ご しました。 

今でも毎年参加させてもらっている、大学の門下生主催の演奏会や、現代音楽の初演、大学から推薦を 貰った新人演奏会など、ステージに立つ機会も多くあり、当時所属していた音楽教室の生徒さんたちとも 楽しく過ごしていましたが、卒業後は、穏やかに過ごしたいと思い、両親が暮らす福岡へ移り住みました。 

 

社会人 

福岡で音楽教室を始め、声がかかれば演奏する、という生活に落ち着きました。

「人を喜ばせる手段を持っているなら大切にした方が良い」という先輩の言葉は、ピアノの先生としての 道標です。 

楽しく、笑顔で過ごせる場所であることを心がけているので、生徒さんの笑顔や、生徒さんのご家族の笑 顔を見られる、ピアノの先生ができてとても幸せです。 

 

自慢の生徒さん 

ピアノのコンクールで賞を取った子がいました。 

中学の吹奏楽でクラリネットを吹いていて、アンサンブルコンテスト(カルテットのうち 2 人がうちのピア ノの生徒)で賞を取った事で、有名強豪校の海外演奏ツアーに同行する機会を貰って、私よりも先にヨー ロッパで演奏をしてきました。 

高校卒業後、子供頃からの夢で美容師の道へ。 

専門学校の入試の面接では、自分のピアノ伴奏を録音してカラオケを作り、それに合わせてクラリネット を吹くパフォーマンスで、自己アピールを認められて、学費免除の奨学生に。 

その後、美容コンテストの日本グランプリで海外へご褒美留学。 

ピアノを習い始めた時は、人見知りしてガタガタ震えていた子だったのが、人前でパフォーマンスする度 胸や、本番の強さと集中力、諦めない精神力をもったのは、音楽で鍛えられたものだと、ご家族から感謝 されたのがとても嬉しい事です。 

 

生徒さんとの思い出 

生徒さんが、子供を連れてレッスンに来てくれました。 

親子二代で通ってくれるなんて!孫ができたようて嬉しいです。

音色も笑顔も、親子でそっくり!!! 

大人の、趣味の生徒さん方、皆さん楽しくお稽古しています。 

コロナ以前は、生徒さんの発案で、年に一度、生徒さんのお宅で、一品&一曲持ちよりのサロンコンサー トをしていました。 

多趣味な方が多くて、お料理や手芸、手品の披露があったりと、コンサートの後のおしゃべりだけでも、 とても華やか。 

次回はうちにも〜 

と、会場が持ち回りになる予定です。 

生徒さん方からの申し出で会が広がっていくので、毎回とても楽しい時間を過ごして、次の会が私も楽し みです。